「舞姫」は「うたかたの記」「文づかひ」とともに、二十代の鷗外が、自らのドイツ留学体験をもとに書いた、痛切な青春小説である。文語文で語られたその「雅文体」は、たとえようもなく美しいだけでなく、回想に適した文体でもあるので、「現代語訳」には違和感がないわけではない。だが井上靖の訳文(1982年)は、崩れのない端正な現代日本語になっている。たとえば、はじめて恋人エリスに会うところ。「今この処を過ぎんとするとき、鎖(とざ)したる寺門の扉に寄りて、声を呑みつつ泣くひとりの少女(をとめ)あるを見たり。年は十六、十七なるべし。かむりし巾(きれ)を洩れたる髪の色は、薄きこがね色にて、・・・この青く清らにて物問ひたげに愁ひを含める目(まみ)の、半ば露を宿せる長き睫毛に覆はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我が心の底までは徹したるか。」
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このページの情報は 2006年12月25日16時43分 時点のものです。 |