「奥の細道」の旅に随行して曽良は芭蕉の身のまわりの世話をしたり、順路、天候など簡単な随行日記を残している。その中に俳諧の書留もある。芭蕉は随行の曽良の句を入れてやっている。「剃り捨て黒髪山に衣更 曽良」「かさねとは八重撫子の名成べし 曽良」と記載しているが、曽良自身の書留にはなく、これらは芭蕉の代作とみなすのが普通である。また、行程についても芭蕉は曽良の正確な記録とは違って、フィクションの部分もうかがえる(雅) |
このページの情報は 2006年12月25日16時43分 時点のものです。 |