本書はキリスト教がいかに「よりよく生きる」という考えを破壊したかを糾弾し、キリスト教に対して有罪判決を下している。日本人は宗教的に寛容であり、多くの日本人は自分はいわゆる無宗教だと思っているだろうが、日本人にはキリスト教的価値観が蔓延するグローバリズムの中で無意識のうちにキリスト教価値観が染みこんでいるのではなかろうか。グローバリズム云々以前に、日本国憲法というのは当時の世界最強のキリスト教国アメリカの意向を反映したものであり、日本人の土着的価値観とは解離したものである。戦後60年間その憲法をご神託のように崇めてきた日本人はキリスト教の考えが根付いていると見て問題はなかろう。キリスト教的平等主義による弊害はその好例であり、本書の中で日本人にとって最も現実的な問題ではないだろうか。平等主義に基づいてエリートを悪しきものとみなすことによる問題は、藤原正彦氏のベストセラー「国家の品格」でも述べられている。本書の中で語られるニーチェのエリート論には共感を覚えた。また、ニーチェはローマを人類最高の時代と考え、邪教キリスト教がその人類の英知が生み出した傑作を破壊したものと見ている。まさにその通りだろう。ローマ・ギリシア文化を吸収したイスラームがどれだけ優れた文化を有していたかは高校世界史ですら学ぶことであるが、そのイスラーム圏を破壊し搾取し続けたのはキリスト教国、イギリス、フランス、ロシア、アメリカなどのキリスト教を信仰する当時の覇権国家であった。ローマについては詳しく知るために、最近最新刊を出版した塩野七生氏の『ローマ人の物語』を読みたくなった。
レポートを書くためにニーチェ関係の本を10冊くらい嫌々読みましたが、その中でこの本だけが面白くて、夢中になって読んでしまいました。他の入門書よりもわかりやすかったです……^^。でも内容は濃いですけど。友だちにも勧めたいです。
特に新しい発見とか感動はない。
ニーチェの原題「アンチキリスト」の副題には「キリスト教を呪う」とありますから、ショッキングなこの本の和訳タイトルも「遠からじ」の感。Newsweek 9月25日(‘06)号のBooksの欄にニーチェも引用して、最近の「無神論」派学者の「宗教」に対する見解を書いた本の紹介があり、『最近の信仰復興の動きの中で、3人の学者は「無神論」の方がよりスマートである』との考えを述べているとあります。最近はカソリック教会の新しい法王による「イスラム教」に関する古い引用が宗教界に問題を醸しています。200年後を見通したというニーチェの最後の本の今日的意義は否定できないのでしょう。しかし、このニーチェ本(1895年)よりも少し早い1883年に、英国教会牧師で、かつ、霊媒Stainton Moses氏が(トランス状態で)自動書記により書かれた「Spirit Teachings」という本(1985年「霊訓」、国書刊行会出版)を出版しています。この本は「あの世のキリスト者」(続編によるとマラキ書のマラキ)が書いたものとなっていますが、その内容にはニーチェのキリスト教批判と共通するものが多々あり、その一つをあげると、『神学者が作り上げた「キリストの贖罪」などという話を我々(あの世のSpirits)は知らない』とあり、「他力本願」を否定しています。「汎神論/無神論」的観点からすると、世界の一神教の「教義」はなぜこの2000年来「不変」なのか?という疑問があります。啓示を受けた人を通して伝承・記録された「啓示」はそれらが与えられた時代のニーズに対応したものであり、「すべての宗教には歪曲がある」という格言は、おそらく多くの無神論者の目からは、当たっているのでしょう。
ニーチェの本を含め哲学書・思想書というものは、難解なものばかりで取っつきにくい。その点では、この本は「現代語訳」というだけあって読みやすいです。さくっと一冊読めてしまいました。
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このページの情報は 2006年12月25日16時43分 時点のものです。 |