オススメ度 |
 |
カント云々はともかく、とにかく読みやすくわかりやすい訳です。カントはこんなにわかりやすかったのかと思いました。先ずお読みになってみてください。最初のページから引き込まれます。これを読みきればカントが身近に感じられ、また他の著作も読んでみたくなります。あるいは自分の頭で考えてみたくなる。大学教育でのリベラルアーツ(教養)の必要が唱えられ始めた今日、読んで「わかった、なるほど」からさらに先を自分の頭で考えさせてくれる書物を読み込むことは、老若問わずますます必要になっていると思います。本書はそのような一冊です。光文社は本書以外にレーニンやバタイユなども文庫で刊行中ですが、時流をよく捉えた企画です。
オススメ度 |
 |
カントというと、気難しい感じがしますが、この本に関する限りそんなことは、ありません。読みやすいです。いい書評書かれていますので、付け加えるなら、この本の内容、論破するの容易なことでは、ありません。
オススメ度 |
 |
数々の工夫がこらされた新訳。原著にはない小見出し、長々しいカントの叙述を段落に分け、ドイツ語の“Maxime”を「格律」ではなく「原理」と訳す。211年も昔の『永遠平和のために』は、9.11後の世界と呼応している。国連安保理は、世界中が注視する公開討論において、アメリカのイラク開戦を承認せず、アメリカの単独行動に「正義のお墨付き」を与えなかった。そして、安保理という公開の場でイラクの「大量破壊兵器開発」を主張したアメリカは、その虚偽を白日の下に暴かれた。これらの事実は、たとえアメリカの「単独行動」があったとしても、世界平和について我々に「根拠のある希望」(カントの言葉、本書p253)を与えてくれる。なぜだろうか? それは、「公開性 Publizitaet」こそが、国際法=正義の基礎だからである。
カントの定言命法「汝の意思の格律が、つねに同時に普遍的な立法の原理とみなされるように行動せよ」は、「公開性」という概念を介して、国際法の正義に繋がる。自分の為の特定の目的ではなく(これは仮言命法)、すべての人が「そうすべきだ」という命法は、恥じることなく天下に公開できる。『永遠平和のために』は、この「公開性」の原理によって、政治において混同されがちな二つの文脈、すなわち、正義論の文脈と功利主義の文脈とを切り分けてみせる(p240-253)。この議論の射程はきわめて大きい。安保理でアメリカは、この「公開性」のゆえに敗退した。
オススメ度 |
 |
本書冒頭の「啓蒙とは何か」はシビれる論文です。
「啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜けでることだ」
と始まるこの論文は、たった17ページしかない、222年も前に書かれた古いものです。しかし、私はこれを読んで身体が震えました。ここには、私が今の暮らしで直面している苦悩や、私たちの世界が陥っている混乱に対する、真摯な応援の言葉があったからです。考えろ、そして発言しろ。それが世界を変えてゆく、と私たちを勇気づけてくれる言葉が。
こうした本を人は「名著」と呼びます。しかし名著ってなんでしょうか? どんな本だって書かれてすぐ名著になったわけじゃない。多くの他人に読まれて、その本について人々が語り、さらに長い間読み継がれてはじめて「本」は「名著」になります。
しかし、現代の私たちは、名著の題名は知っているけれど、それを手に取り読むことは非常に少ない。誰にも読まれない本が名著と呼ばれるのはヘンですよね。
このシリーズは、名著の埃を払い、ちゃんと読める訳になっています。現に、私には222年前の論文がビンビン心に響いた。当時のプロイセンの読者が感じた衝撃も、きっとこんなだったのではないだろうか。
「自分の頭で考えろ」「服従しろ。しかし、学者としての自由な発言は誰も妨げることはできない。発言しろ」とカントは繰り返し言います。私たちは誰もが誰かに服従し、苦しい人生を送っています。しかし発言の自由がある。まるでカントは今日のWeb2.0の世界を予見していたかのようです。そしてテロと戦争が吹き荒れる無理解も、すでにカントは指摘していました。
この素敵なカントの言葉を、多くの人に読んでもらいたいと思うのです。本は、誰かに読まれて初めて名著になる。カントの本を名著にするのは、ほかでもない私たちです。「啓蒙とは何か」は222年前の9月末日のプロイセンで脱稿されました。しかし、まるで昨日、私のすぐそばで書かれたかのような熱さを持っています。
巻末には100ページに及ぶ訳者の解説が付いています。親切で、読みやすく、挑発的です。カントと中山元の二人から「さあ、いっしょに考えてみないか?」と誘われているようです。
オススメ度 |
 |
まずは欠落している情報を。
収録翻訳論文は「啓蒙とは何か」「世界市民という視点からみた普遍史の理念」「人類の歴史の憶測的な起源」「万物の終焉」「永遠平和のために―哲学的な草案」の計5編。
最近の不勉強な学部生レベルでは、カントやヘーゲル、マルクスなど、基本文献は洋書を含め、数種類の翻訳を揃えるなどということはなかろうから、まずはここから始めればよいのではないか。
先のカント学会の招待講演をなさった柄谷行人氏の正に「トランスクリティカル」な読解でカントの読み直しが、必ずしもカントに興味を持たなかった層にも、アクチュアルな問題への指針として古典を読み直す機縁を与えているようだ。「啓蒙とは何か」「世界市民」「永遠平和のために」あたりがそうである。
氏の『トランスクリティーク』や『世界共和国へ』を読む際に、特に後者は、本来英語著作原稿の翻訳抜粋であるために、カント・マルクスの基礎的常識や議論は割愛されているので、必ず上の3論文は押さえておかねばならない。読みやすい新訳での一読をぜひお勧めする。