オススメ度 |
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このDVDシリーズのBox版のレビューは済ませてあります。
各巻別にレビューしようと思ったのだけど、順番は別にして、まずは、第三巻「芝浜」です。
古くは、先代桂三木助の18番として安鶴さんたちに持ち上げられて、この演出の線から抜け出せないままでいました。その後、古今亭志ん朝師匠や柳家小三治師匠が、「奥行きを深くした」長編に仕立てていました。
他方、立川談志家元は、やや過剰なくらいの夫婦愛を演出し、正直言うと「臭い」演出に走っていました。
私自身は、古今亭志ん朝師匠の「三百人劇場」での口演が、現時点で最高と思い込んでおりました。そのようなレビューも書きました。
しかし・・・・
談志家元は、熊さんの堕落への課程も省略します。「昼間から酒を飲んで変な肴を持ってきてお得意をしくじる熊さん」は出てきません。堕落しきった熊さんから始まります。
さらに、談志家元は、(ネタバレ承知で書きますが)、夢にする部分を先に持ってきました。かみさんが躊躇しながら、夢だと言わせる演出をしています。
三木助師匠以降、「朝起きたろう」「それで、湯に行って、友達連れて・・・」という「いかに夢と思わせるか」の演出を完全に省略して、夫婦の会話の中で、「夢」にしてしまいました。ここは、「いかに騙すか」のお楽しみの部分でしたが、「人間の業」の肯定の立場からすれば、夫婦の間での信頼関係で、「騙せる」「騙されられる」という「分解」をし、それを見事に違和感なく演じきりました。
この前提があるから、今までの演出にある「仕事をしなけりゃいけないとつくづく思う」という熊さんの述懐を聞いて、初めておかみさんが財布を出すという演出から、そんな道徳的なことなどどうでもいい、二人して飲もう・・・という、「又熊さんが飲んだくれになってもかまわない」という覚悟での「一杯やろう」が本当に堪えて来るのだと思うのです。
だからこそ「よそう、夢になるといけない」は、めちゃくちゃなリアリティーをもって、響いてくる。
こんな演出は考えもしなかった。
今までの談志家元の過剰な演出は、このDVDでの演出への助走だったのか?!?
震えましたね。落語を聴いて泣いたのも久しぶりです。
どうかお元気で・・・